旧richardkoshimizu's blog

これがほんとの「ウンチク」w。

<<   作成日時 : 2013/10/02 10:36   >>

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これがほんとの「ウンチク」w。

お食事中の方には失礼いたします。

江戸時代、江戸には上水道は完備していたけれど、下水道はなかった。では、江戸の町は糞尿まみれだったかというと、農業の肥料となる糞尿を求めて近隣の農家が群がったので常に回収されて利用されていた。

大川(隅田川)とその上流の新河岸川は江戸の糞尿を武蔵の国(川越など)に運ぶのに利用され、江戸中心部から川越の市街まで船が通っていた。糞尿とともに江戸の文化も川越に運ばれたのが、今日、川越が「小江戸」と呼ばれる所以である。川越藩は、「江戸の守り」の役割があったから、家康の次男・結城秀康の系譜が殿様として幕末まで君臨していた。

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さて、その川越あたりは、サツマイモの名産地であるわけだが、1735年に青木昆陽が「飢饉対策」としてサツマイモの栽培を幕府に進言して、川越にも定着した。将軍家冶に川越藩主がサツマイモを献上して絶賛され、「川越いも」と命名されたそうだ。そのサツマイモの栽培用に江戸から糞尿が運ばれたようだ。これが、「栗よりうまい13里」の発祥である。川越は江戸より13里の地にある。

肥料としての糞尿は、数十年前まで利用されていた。東上鉄道(のちに東武の根津嘉一郎の傘下になった。)も堤康次郎の西武池袋線も汚わいを埼玉に運ぶのに盛んに使われた。戦争に入ると都市部の汚わいの処理が人手不足で滞り、改めて汚わい電車が活用された経緯がある。私RKは、この「元汚わい鉄道」に今でもお世話になっているわけだ。

この大都市の糞尿を利用した農業は、実に、滋養に富んだ農産物を生産する結果となったわけで、おそらく、江戸時代の江戸町民、戦前戦後の東京都民は物凄く旨い野菜を食していたであろうと思う。それに比べ、現代の化学肥料と農薬に立脚した生産性第一の農業は、ミネラル、ビタミンが欠乏した農薬まみれの「危険物」しか生み出さない。

有機農業の復活は、国民の健康回復の切り札である。健康食品も健康器具も「安心食材」に替わる手段とはなりえない。

以上、これが本当の薀蓄でした。情報感謝。

2013/10/2 05:36

たしか江戸時代の糞尿農法は本当に驚異的な生産性だったとか。五輪で露と消えたんですよね。今ならば衛生的で不快感の無い糞尿農法がリバイバルできそうな気がしますが。

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